やさぐれ漫画描き、広枝出海のブログです。 創作同人情報、美術展やら映画感想など 獺祭状態でつらつら書きたいな~、と。 カワウソは取った魚を祭るように陳列するそうですが、散らかしているだけとは言ってはいけないお約束(^_^;) 無断転載はどうぞご遠慮下さいませ<(_ _)>
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「白バラの祈り~ゾフィー・ショル、最期の日々~」
映画『白バラの祈り~ゾフィー・ショル、最期の日々~』(2005年ドイツ)をDVDで見ました。
この映画、副題が「最期の~」で既にネタばれなので、今回はネタばれ前提です(^_^;)
ゾフィア・ショル(タイトル表記、日本での通常の紹介でもゾフィーですが、字幕も発音もゾフィアだったので以降はゾフィアで)と兄のハンス・ショルは、1943年2月に反ナチ文書を撒いた罪で処刑された実在の人物です。冒頭に「最新の証言を元にした」と注釈があるだけあって、映画的な派手さを期待すると肩透かしを食らうかも。
ショル兄妹は大学の友人知人と一緒に「白バラ」として地下活動を始め、反ナチ啓蒙ビラをゲリラ的に各家に投函していた。ドイツの戦況が悪化する中、紙の物資不足や国内移動の困難さに悩まされながらも、彼らは活動を活発化させていく。ゲシュタポは「白バラ」を危険思想とみなし正体を探っていたが、郵便物の投函場所が多岐に渡っていたため実像を掴めないでいた。そして、仲間から「危険過ぎる」と止められながらも兄妹は大学のホール内でのビラ撒きを強行。要所ごとにビラの束を置いていったのだが、ゾフィアは階段の手すりからわざとビラの束を落とし、職員に目撃されてしまう。
と紹介しましたがこの話、ドイツでは周知の史実なのか、映画では大学ホールに至るまでの過程はほとんど出てきません。映画だけ見ると「大学でビラ撒いただけなのに…」て感想を持ちかねない感じです(まあ本当にビラ撒いた「だけ」ではあるんですが…)
映画の見せどころは直後の逮捕から取り調べ、悪名高い人民裁判での様子です。取り調べが意外にも紳士的に行われたことは当時の記録にも残されていますが、部屋が想像してたのと全然違う!書斎のような、執務室のような立派な部屋にちょっとびっくり。唯一扉が防音仕様なのがそれらしく見える程度。実際もこうだったんでしょうか。そして気になったのは…部屋では上着を脱いでいること。2月のドイツで、「本物のコーヒーだ」とか言ってる物資のない状況で、暖房だけはがんがん焚いてたんでしょうか??そんな本筋とは違うところばかり気になってしまったんですが、肝心のゾフィアといえば…なんとなく共感できない…(-_-;)
史実からみれば、二十歳そこそこで処刑も辞さず(回避する選択肢もあったのに)人民裁判で自説を堂々と述べた彼女はすごい人です。だけど映画では…なにか違和感が…。なんでそんなに頑張るの?とか思っちゃう。もうちょっと軍にいる恋人との回想シーンとか、普通の女の子を感じられると良かったのかなあ。最後まで見ても事件の要の「なぜビラを手すりから落としたのか」が分からない(…逆切れ?)彼女の思想のバックボーンがあまり描かれないので、身近な人間として理解できないのかも。う~む、惜しい…。
人民裁判(弁護人が一言も弁護しない名ばかりの弾劾裁判)での判決の後、兄妹と友人1名は即日処刑されます。自らの行動に誇りを持ち、目前の処刑も怯まない兄妹に対し、子持ちの友人は大いにうろたえます。かっこ悪いけど、…彼の方が人間臭く感じました。守る者の有無ってこんなに大きいんだな、と…。
そして処刑。ここでも処刑を待つ部屋のランプシェードが不似合いなキレイさだな~、とか脇道に気がいっていると…。
え…!? ギロチンーーー!?
だって20世紀ですよ!?「ワルキューレ」でも銃殺とかピアノ線で首くくるとかだったのに…。なんでギロチン!?見せしめ??でもワルキューレの処刑だって見せしめだったはず…。なんでー??そして処刑執行人はシルクハットだし。これも何か意味があるんでしょうか。
最後まで本筋と関係のないところに目が行ってしまった映画でしたが、ラストのギロチン(と、そのカメラショット)があまりにも衝撃的だったので感想を。作りは地味な映画ですが、21世紀の「アラブの春」を思うと実に切ない話です。現代は本当にいい時代になりました…。
=========================================
※2014年6月21日追記。
で、このラストのギロチン処刑の違和感に関して、ずーーーーっと秘かにもにょもにょしていたわけですが、今日なんか謎がとけました(ような気がする)!
本日放送のテレビ東京『137億年の物語』はマリー・アントワネットについてだったのですが。最後の方の説明で「フランスでは1981年までギロチン処刑が制度化されていて、最後の執行例は1976年に行われている」と!(あ…細かい年数は違うかも。3歩歩くと忘れるトリ頭の哀しさ…)
戦後までギロチンて現役だったのーーー(li;;゚;ノω;゚;;)ノ!!??
ええええええええええええ!?
だってだって…何なのそのこだわり…発明国のこだわりですかw!?
………とゆーことで、多分このゾフィーのケースも「普通」だったのではないかと(国違うけどまあ隣だし(^_^;))。ピアノ線で首くくるとか、銃殺の方が本当は異質なケースだったのかもです。
なんかすっきりしました。『137億年の物語』に感謝♪
関係ないけど、『137億年の物語』は良い番組です。好きです。寺脇博士ステキっす(〃゚ω゚〃)
全国放送になってないのが納得いきまへん。
テレ東ありがとう♡ひとつカシコクなりました(無駄知識的に…)。
この映画、副題が「最期の~」で既にネタばれなので、今回はネタばれ前提です(^_^;)
ゾフィア・ショル(タイトル表記、日本での通常の紹介でもゾフィーですが、字幕も発音もゾフィアだったので以降はゾフィアで)と兄のハンス・ショルは、1943年2月に反ナチ文書を撒いた罪で処刑された実在の人物です。冒頭に「最新の証言を元にした」と注釈があるだけあって、映画的な派手さを期待すると肩透かしを食らうかも。
ショル兄妹は大学の友人知人と一緒に「白バラ」として地下活動を始め、反ナチ啓蒙ビラをゲリラ的に各家に投函していた。ドイツの戦況が悪化する中、紙の物資不足や国内移動の困難さに悩まされながらも、彼らは活動を活発化させていく。ゲシュタポは「白バラ」を危険思想とみなし正体を探っていたが、郵便物の投函場所が多岐に渡っていたため実像を掴めないでいた。そして、仲間から「危険過ぎる」と止められながらも兄妹は大学のホール内でのビラ撒きを強行。要所ごとにビラの束を置いていったのだが、ゾフィアは階段の手すりからわざとビラの束を落とし、職員に目撃されてしまう。
と紹介しましたがこの話、ドイツでは周知の史実なのか、映画では大学ホールに至るまでの過程はほとんど出てきません。映画だけ見ると「大学でビラ撒いただけなのに…」て感想を持ちかねない感じです(まあ本当にビラ撒いた「だけ」ではあるんですが…)
映画の見せどころは直後の逮捕から取り調べ、悪名高い人民裁判での様子です。取り調べが意外にも紳士的に行われたことは当時の記録にも残されていますが、部屋が想像してたのと全然違う!書斎のような、執務室のような立派な部屋にちょっとびっくり。唯一扉が防音仕様なのがそれらしく見える程度。実際もこうだったんでしょうか。そして気になったのは…部屋では上着を脱いでいること。2月のドイツで、「本物のコーヒーだ」とか言ってる物資のない状況で、暖房だけはがんがん焚いてたんでしょうか??そんな本筋とは違うところばかり気になってしまったんですが、肝心のゾフィアといえば…なんとなく共感できない…(-_-;)
史実からみれば、二十歳そこそこで処刑も辞さず(回避する選択肢もあったのに)人民裁判で自説を堂々と述べた彼女はすごい人です。だけど映画では…なにか違和感が…。なんでそんなに頑張るの?とか思っちゃう。もうちょっと軍にいる恋人との回想シーンとか、普通の女の子を感じられると良かったのかなあ。最後まで見ても事件の要の「なぜビラを手すりから落としたのか」が分からない(…逆切れ?)彼女の思想のバックボーンがあまり描かれないので、身近な人間として理解できないのかも。う~む、惜しい…。
人民裁判(弁護人が一言も弁護しない名ばかりの弾劾裁判)での判決の後、兄妹と友人1名は即日処刑されます。自らの行動に誇りを持ち、目前の処刑も怯まない兄妹に対し、子持ちの友人は大いにうろたえます。かっこ悪いけど、…彼の方が人間臭く感じました。守る者の有無ってこんなに大きいんだな、と…。
そして処刑。ここでも処刑を待つ部屋のランプシェードが不似合いなキレイさだな~、とか脇道に気がいっていると…。
え…!? ギロチンーーー!?
だって20世紀ですよ!?「ワルキューレ」でも銃殺とかピアノ線で首くくるとかだったのに…。なんでギロチン!?見せしめ??でもワルキューレの処刑だって見せしめだったはず…。なんでー??そして処刑執行人はシルクハットだし。これも何か意味があるんでしょうか。
最後まで本筋と関係のないところに目が行ってしまった映画でしたが、ラストのギロチン(と、そのカメラショット)があまりにも衝撃的だったので感想を。作りは地味な映画ですが、21世紀の「アラブの春」を思うと実に切ない話です。現代は本当にいい時代になりました…。
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※2014年6月21日追記。
で、このラストのギロチン処刑の違和感に関して、ずーーーーっと秘かにもにょもにょしていたわけですが、今日なんか謎がとけました(ような気がする)!
本日放送のテレビ東京『137億年の物語』はマリー・アントワネットについてだったのですが。最後の方の説明で「フランスでは1981年までギロチン処刑が制度化されていて、最後の執行例は1976年に行われている」と!(あ…細かい年数は違うかも。3歩歩くと忘れるトリ頭の哀しさ…)
戦後までギロチンて現役だったのーーー(li;;゚;ノω;゚;;)ノ!!??
ええええええええええええ!?
だってだって…何なのそのこだわり…発明国のこだわりですかw!?
………とゆーことで、多分このゾフィーのケースも「普通」だったのではないかと(国違うけどまあ隣だし(^_^;))。ピアノ線で首くくるとか、銃殺の方が本当は異質なケースだったのかもです。
なんかすっきりしました。『137億年の物語』に感謝♪
関係ないけど、『137億年の物語』は良い番組です。好きです。寺脇博士ステキっす(〃゚ω゚〃)
全国放送になってないのが納得いきまへん。
テレ東ありがとう♡ひとつカシコクなりました(無駄知識的に…)。
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初めまして
斬首は、彼女が軍人ではなく一般人だったためではないでしょうか…?